1年目。
退職を決意するもコロナ禍にビビってしまい、退職できず、ズルズル2年目を迎えることとなる。
春頃
自分の所属するチームは子会社と合併し、1つの部署となる。
そう。最初からぼっち確定という幸先の悪いスタートとなった。
周りは全く知らない人。やり方もいろいろ変わったのでなんか普通に転職した気分でいた。辛いのは相変わらず。
コロナ禍で売り上げは完全に落ち、部署全体として仕事がなくなってしまい(自分のグループは仕事はあった)週1で他部署の工場の応援に行かされることになる。
しかも土曜日。中国人に紛れて朝から晩までひたすら作業。
「あー3月に辞めときゃよかった」そう思いながら働くのであった。
コロナ禍で得意先も打撃を受けていた。
自分が得意先に入れていた商品も次々と販売終了となり、商談も禁止。
もはや打つ手なし。
上からは何とかしろよと言われるが、コロナ禍になる前から何とかなってなかったので、何とかなるわけがなかった。
モチベーションは低下する一方。
夏頃
プレゼンで大コケし完全に自信を無くす。
上司に辞める旨を伝える(失敗)
秋頃
うちのチームの商品がTwitter等でバズってしまい(俺はほとんど関与していない)、
製造が追いつかないため工場の応援で東北に派遣される。
日帰りと言われたのでそのつもりで行ったら、9日間家に帰れなかった。
そこの工場にいた同期が車でドンキに連れて行ってくれなかったら〇んでいた。
10日近く滞在したのでもう第二の故郷といっても過言ではない。
その後も明日、朝7時東北某駅集合ね!とか金曜日の夕方にいきなり群馬行ってきて。とか。
我、都内ぞ?
こうして12月で辞める旨を上司に伝える(3か月ぶり2度目)
冬頃
粘るに粘って12月に退職決定。
と思ったのだが、お偉いさんにつかまり引き止めに合う。
営業から経理というポストを用意され、異動先にも話をつけてくれ、
社宅も用意してくれるとのこと。
ここまでしてもらって、断れなかったというか、本意ではなかったが環境を変えてもう一回やってみようと思った。まあ異動した方が辞めやすくなりそうな気もしていたので
こうして年明けに異動が決まった。
異動後
異動となった。
男しかいないし、汚いし、スキンヘッドの男に出迎えられ、完全に刑務所。
ただ、ネチネチした悪い奴はいなく、人には恵まれたのかなという印象。
異動した結果、人の良さ、そこそこの居心地の良さと引き換えに、手に入れたのは前部署を超える激務であった。
— 🎱 (@musyokudesuga) 2021年2月25日
しかし3月に入り、帰宅時間が毎日日を跨ぐ時期があったので、退職を決意。
まとめ
2年目になっても会社に慣れることはできず、むしろ慣れてきたところコロナ禍で様々な事に対応しきれなかった。ずっと人のせいとかにしてきたけど(ここでもコロナ禍のせいにしてる(笑))、まあここまで来ると自分のせいなのかなと。社会人としての限界を感じた。後輩も入ってこないため、ずっとパシり(パシしかやらせることがなかった)。まあ野球部だったのでパシりは慣れている。
粘って異動になり、多少は環境が良くなったが、根本的に会社としての根っこは変わらないのと、結局どこに行っても嫌なことは起こり得る。まあこの会社にはどうしても見切りをつけたいのが一番。あとは辞めるならきっぱり辞める。強い意志が大切。それをやりきれなかった2年目。こうして本気で辞める決意をし、3年目に突入するのである。