その特徴的な店名で以前から気になる存在ではあったのだが、この前近くを通った際、

「あれ、閉店?」
私はよく定休日にお店に突撃してしまう悪い癖があるのだが、今回はそのパターンではなく、どうやら2024年11月頃に閉店していたという情報が...
2024年7月頃からすでに閉まっていたとの情報もあり、おそらく2024年の夏から秋にかけてのタイミングで閉店したと思われる。
都内にも複数店舗展開していたようだが、現在は写真の東京都江東区にある大島店のみとされていた。
そもそもラーメン大学とは
1962年頃に東京都内に1号店がオープン。
その後、1965年頃に長野にある会社がに暖簾分けという形で長野県で展開し始めたところ、なぜか大流行。
チェーンとして最盛期には長野県内だけで60店舗程展開されており、長野県のソウルフードとまで言われているとかいないとか。
大島店
どうやら大将がたばこを吸いながら外に出てきて客引きをしていたという名物店だったようで...(笑)
(その時代に行きたかったな...)
メニューは東京ラーメン、味噌ラーメン、博多ラーメンなど豊富なラーメンメニューに加え、チャーハンそしてレバニラ炒めなどの定食のようなメニューもあり、いわゆる町中華のようなお店だったそうで、40年以上続いた歴史あるお店だったようだ。
この大島店の閉店により、ラーメン大学は都内(関東)から消滅してしまった。
そして、都民の私が気軽に行けるラーメン大学の店舗がなくなってしまった...
ただこちらの店舗。途中からチェーンを脱退していたのか、2023年頃からラーメン大学の”大学”部分を看板から消して営業をしており、途中から屋号不明だったという説もある。

たしかによく見ると大学部分が雑に消されているのが確認できる。
そうすると、、、屋号はラーメン?(笑)
ちなみにこれは牛丼太郎が牛の文字を消して”丼太郎”として営業しているパターンと同じパターンである。
丼太郎はテープみたいなもので牛の部分を覆っている。

丼太郎 茗荷谷店
別の大島店!?
ちなみに大島には先ほど紹介した大島店の他に大島駅前店という店舗も存在していたらしいが、こちらも2014年頃に閉店。
なんと当時は大島にラーメン大学が2店舗存在するというかなりカオスな状況となっており調べてみたところ、大島店と大島駅前店の距離はたったの300メートルであった(笑)
Googleストリートビューより2014年頃の大島駅前店の様子
こちらの店舗はどうやら餃子がおいしいと評判だったようだ。
大島店よりこちらの大島駅前店の方が看板や雰囲気を見るになんとなく”チェーン店っぽさ”がある。
↓現在は舎鈴になっていた。

かつて都内(関東)に展開していたとされる店舗
・蒲田
・穴守稲荷
・お花茶屋
・四ツ木
・立花
・武蔵小金井
などに店舗があったようだ(俺調べ)
基本的に関東は都内を中心に展開していたようだが、出てくる情報が少なすぎるし、本当にどこも閉店済みなのである。
現在でも西日本(大阪、香川、山口など)では同名称で営業している店舗を発見したが、個人でやっている店舗なのかチェーンとしての店舗なのかは不明。
地元民、情報求む!
ちなみにデカ盛りで有名だった梅田店(大阪)は2023年12月に閉店している。
なんとしてでもラーメン大学を卒業したい!
ここで終わるわけにはいかない。
ラーメン大学の閉店を真近で見てしまった以上、卒業(入学)をしなくては...
というわけで、考えられる限り一番近くのラーメン大学がある県、ラーメン大学の本拠地 長野県へ向かった。
しなの鉄道 テクノさかき駅(長野県埴科郡坂城町)で下車。
ずいぶん遠くまで来てしまった..閉店やら臨時休業はやめてくれよと考えながら歩くこと15分ほど
ついに、、、

発見!
思ったよりデカくて"大学感"がある。
都内で見つけた小さいカウンターしかないようなラーメン屋のサイズ感ではなく、ファミレスのようなサイズ感。

ラーメン大学 坂城店
メニューはこちら↓

メニューが豊富すぎる!全部ある!
これは最強ラーメンチェーンだ!
迷ってしまったので今回は一番人気であるこて味噌ラーメンを注文。

こて味噌ラーメン 970円
写真で見るとわかりずらいが、結構ボリューミー。

写真だと少しわかりずらいが、麺がめちゃくちゃ太い。
この太麺が濃厚な味噌のスープにめちゃくちゃよく絡んでいる。
そして、ひき肉と背脂もよいアクセント。
もやしにも味がついており、よくあるラーメン屋の味がついていない"ただの茹でたもやし"じゃないのもポイントが高い。
というかそのへんのラーメン屋で食う味噌ラーメンより全然美味いじゃないか!
すごいぞ!ラーメン大学!
えらいぞ!ラーメン大学!

平日限定でサービスランチをやっていたので、ミニ丼ランチ。

ミニチャーシュー丼(+200円)
分厚い炙りチャーシューに甘辛のタレ。
それはもう勝ちなのである。
完食。

こうして無事卒業することができたのであった(完食で卒業?(笑))
どんぶりはラーメン大学のロゴ入り。
欲しい...
中華そば

餃子

このおいしさだったら、ほかの県でも十分やっていけるだろうに。
他の県(特に東日本)ではもう展開しないのだろうか。

ラーメン大学のマスコットキャラクター 大ちゃん
彼、グッズとかにしたらわりと人気出そうな気がするけど、どう?(笑)
なぜ長野県で流行したのか?
上述の通り、最盛期は長野県内だけで60店舗以上を構えていた。
これはかなりの大ヒットである。
しかし、なぜ長野県内で大流行したのかについて言及されている記事などが何一つ見当たらず、いわゆる"謎チェーン状態"なのである。
長野県民の知り合いもラーメン大学のことは当然のように知っていたが、なぜ流行ったかについては詳しいことはわからないという。
一体、なぜ流行ったのだろうか。
まず1つ目の理由として考えられるのは1965年に長野で展開され始めたという点。
この頃から東京でぼちぼちラーメンチェーンが出始めたとみられるが、長野県にはラーメンチェーンがほとんど展開されていなかったのではないかと考えられる。
ちなみに日本で最古のラーメンチェーンは珍來と言われているが、1号店の誕生が1946年とかなり早かったものの、のれん分けが1968年、珍來総本店を設立が1977年ということから、他県(長野県)への展開はラーメン大学の方が一歩早かったという説。
(長野県でも珍来という名前の店舗は数店舗確認できる。)
よって長野県で展開し始めたラーメンチェーンの先駆けということでいち早く長野県民に根付いたのではないだろうか。
2つ目は寒冷地という点である。
軽井沢や上高地などの避暑地があるこの近辺の地域は、年間を通して気温が低く、また、冬には雪が降る地域も多いといったことからラーメンのような温かい食べ物が好まれる傾向にあったと考えられる。
3つ目はそばを食べる県民性である。
長野県といえば信州そばというほどに、そばは長野県の代表的な郷土食である。
そばのような麺類を食べる人が多かったがためにラーメンに抵抗がなく、ラーメンを好む人も多かったのではないだろうか。またはそばに変わる何かを求めていたのかも...?
事実、長野県の次にラーメン大学の店舗が多いのは香川県である。
以上のような理由から長野県でラーメン大学が大流行したのではないだろうか。
(ほぼこじつけのような考察ですが...)
まとめ
都内から撤退してしまったラーメン大学。
長野県に多く展開しているとはいえ、店舗数も現在は長野県内で約10店舗程。
最盛期よりかは店舗数を減らしてしまっており、勢いは衰退気味なのかな?と勝手に思っていたのだが、その予想は遥かに外れていた。
訪れたのは平日の11時台であったがテーブル席はほぼ埋まり、カウンター席にも中年のサラリーマンや作業着を着た兄ちゃんたちが次々に座っていく。お年寄りのおばあちゃんグループも何名か。かなりの繁盛店であった。
まさに老若男女に愛されているチェーンだったのである。
このように自分の住んでいる地域では見かけないチェーン店が躍動しているさまが見られるのも旅行や遠征、出張の楽しみの一つなのではないだろうか。
皆様も長野県に訪れた際はぜひ足を運んでみてほしいです!
またまた最強ローカルチェーンを見つけてしまった。
いつかまた関東にラーメン大学が来る日を願って。
最終学歴、更新。
